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2012年11月

2012年11月28日 (水)

古事記のうんちく(4) … 産経新聞より

驚異の記憶力、稗田阿礼

 

新しい国づくりを目指した天武天皇が、古事記の原型となる国の成り立ちや
天皇の系譜を暗記させたのが、稗田阿礼(ひえだのあれ)だった。
舎人(とねり)という下級役人ながら、飛び抜けた記憶力と才能が見込まれ、
わずか28歳での大抜擢だった。

 ただし、阿礼の名は古事記の序文に見られるだけ。
「男性か女性かもわからないほど謎が多いが、
極めて優秀な若者だったことは間違いない。」
阿礼の出身地とされる奈良県大和郡山市稗田町の
賣太(めた)神社宮司、藤本保文さん(65)は話す。

編纂作業は686年の天武天皇の死で中断したが、
711年に天武の姪・元明天皇の指示で、
阿礼が読み上げたものを太安万侶(おおのやすまろ)が
聞き書きし、翌年完成した。

作業が25年間も中断し、正しく覚えていたのかと不安になるが、
阿礼について古事記は 「目に度(わた)れば口に誦(よ)み、
耳に降れば心にしるす」(一度目や耳にしたことは忘れなかった)
と驚異的な記憶力を記している。

「阿礼がいなかったら、古事記は完成しなかったでしょう。」
と藤本さん。
「古事記にたくさんの神様の名前が並ぶのは、古代の人たちが
神様を大切にしていた証し。先人の深い考えや生き方を学ぶことができる
貴重な書物を、阿礼は残してくれたんです」 と話す。

今の語り部や記憶力の神様と信じられ、賣太(めた)神社には
合格祈願などの参拝者が絶えない。
大和郡山市では毎年2月、阿礼にちなんで「記憶力日本選手権大会」
も開かれ、数字や短文の暗記力を競うため全国から200人以上が集まる。
(編集委員 小畑三秋)

                            以上、産経新聞より転載

 

 

最近は、ちょっとしたことでもすぐ忘れてしまうようになった。
年と言って片付けたくはない。
阿礼のような驚異的な記憶力とまでは言わないが、
少なくとも「あれ、何だっけ…?」ということだけはないようにしたい。

 

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2012年11月24日 (土)

古事記のうんちく(3) … 産経新聞より

偽物説を払拭  太安麻侶の墓誌

昭和54年1月、考古学者だけでなく、日本中を興奮させる発見があった。
奈良市此瀬(このせ)町の茶畑で農家の男性が鍬で土を掘り返すと
突然大量の木炭とともにぽっかりと開いた穴が現れた。

火葬した人骨とともに、細長い銅板(長さ29センチ、幅6センチ)も入っていた。
「勲五等太朝臣安萬侶(おおのあそんやすまろ)」。
銅板の土を取り除くと、古事記の編者として教科書でもおなじみの
奈良時代の官僚、太安万侶の名前など計41文字が刻まれていた。
「左京四条四坊」という当時の住所も記され、
安万侶の自宅が現在のJR奈良駅周辺にあったことが判明。
さらの養老7(723)年7月6日に亡くなったと記されていた。

「墓誌が見つかるまでは、古事記偽物説が盛んだった」と話すのは、
同志社女子大の寺川眞知夫特任教授。
戦前の皇国史観の反動もあり、古事記は平安時代ごろの作
とする研究者も多かったという。
偽物である根拠として、711年の元明天皇による古事記編纂再開記事が
当時の公式な歴史書「続日本紀」に記されていないことや、
文体も平安時代以降のものではないかなどと指摘された。
安万侶も架空の人物との説があったが、墓誌の発見によって、
古事記の信ぴょう性が一気に高まった。

安万侶の墓誌は国重要文化財になり、現在は奈良県立橿原考古学
研究所附属博物館(同県橿原市)で常設展示されている。
古事記編纂1300年にあたって銅板の科学分析が行われるなど
再び関心が高まっている。(編集委員 小畑三秋)

 

~以上、産経新聞より転載

 

何事も科学的根拠がないと信じないという輩は多いが
事実は事実として確かに存在するということがあるのだ。

もし、あなたがその末裔だとしたら…?
ロマンのある話である。

 

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2012年11月15日 (木)

古事記のうんちく(2) … 産経新聞より

- ライバル同士だった最古の歴史書 -

「記紀」 とひとくくりにされがちな古事記と日本書紀。
ともにアシカ時代の天武天皇が編纂を命じた
「最古の歴史書」 と言われるが、背景や目的は大きく異なる。

古事記がいにしえのことを表す一方、
日本書紀は 「日本書」 の 「本紀」 のことで、日本の歴史を年代順に書いた。

両書とも漢字できされているが、
古事記は、日本語の発音を感じの音訓の読み方で記しているのが特徴。
例えば、 「八俣遠呂地」 とかくヤマタノオロチは、「おろち」 と読ませるため
「遠呂地」 の3文字を当てた。

「久羅下那州多蛇用弊流」 は、何やら暗号のようだが
「くらげなすただよへる」 と読む。
天地が混とんとしてクラゲのように漂うという意味だが、
漢字本来の意味とは全く関係ない。
「ねざこんなややこしい表記を」 と首をかしげたくなるが、
当時は仮名がなかったためだ。

一方、日本書紀が漢字に意味を持たせた漢文で記されたのは、
国内向けの古事記と異なり、日本の歴史を中国などに示すためだった。

古事記が日本書紀より8年早い712年に完成したことにも、
政治的意味があったようだ。同志社女子大の寺川眞知夫特任教授は
「天明天皇は、叔父・天武の国づくりへの思いを忠実に反映した古事記を
優先させた」 と指摘。
「日本書紀が先に完成すると、古事記が軽視されて未完に終わると
危惧したのでは」 と話す。
「記紀」 は双子の歴史書ではなく、ライバル同士だったのかもしれない。
(編集委員 小畑三秋)

 

 

学生時代に、このような話をしてくれる教師がいたら、
とてもロマンを感じ、もっと歴史に興味を持っていたかも知れない。
「たら」 「れば」 の話ではあるが、これを機に、これらの書に目を通し、
日本という国の成り立ちや、この当時の人たちの国に対する熱き思いを
感じてみたい。

 

 

 

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2012年11月14日 (水)

女優の森光子さん、死去…

『映画、テレビ、舞台などで活躍されていた森光子さんが亡くなられました。』

 

 

このニュースを聞いた時は、本当にショックでした。

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

2012年11月 7日 (水)

古事記のうんちく(1) … 産経新聞より

日本が日本であることの象徴は、天皇である。

天皇の存在があってこそ、日本が存在するのである。

 

 

『みなぎる国づくりの決意』

1300年前の温故知新

「この国のゆるぎない歴史を記さなければならない。」
古事記には、天皇を頂点とする中央集権国家を目指した
天武天皇(在位673~686年)の思いが込められている。

中国にも引けを取らない国づくりには、法律と歴史が必要と考えた天武天皇。
古事記の序文には「国家の原理を示し、天皇政治の基本」と高らかに唱える。

本文では、
イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本列島の島々を誕生させた国生み神話、
大国主命(おおくにぬしのみこと)による天照大神(あまてらすおおみかみ)への国譲り、
天から神々がくだる天孫降臨、初代天皇となる神武の東遷などを詳述。
「天武が古事記をまとめようとした根本には、天皇の血筋の尊さとともに
国の統治は天(天照大神)から委ねられたことを示す目的があった。」
と同志社女子大の寺川眞知夫特任教授(上代文学)は指摘する。

編纂(へんさん)作業は686年の天武天皇の死去で中断し、
712年に元明天皇が叔父・天武の国づくりの遺志を引き継いで完成させた。

日本書紀の記述が41代・持統天皇の譲位(697年)までなのに対し、
古事記は33代・推古天皇の死去(628年)で終わっている。
その理由について序文は
「いにしえのことを明らかにし、衰えた道徳を正さねばならない」
と説く。天武の時代の”いにしえ”は推古までだったのだろう。
1300年前、すでに「温故知新」の精神があった。

 

今年で1300年を迎えた古事記の基礎知識やエピソードを紹介する。
(編集員委員 小畑三秋)

 

      ~以上 産経新聞 「古事記のうんちく」より転載

 

 

三年ほど前、皇居に咲く梅の花を撮影するためにカメラを持って訪れた後、
大手町の駅で公務を終え、皇居に戻られる平成天皇両陛下に遭遇した。

TVでは何度も拝見しているが私のようなごく一般の庶民が
そのお姿を間近で拝見できたその栄誉と陛下の神々しさに
脱帽最敬礼でお車が過ぎ去るのをお見送りした。

我が人生で、最も栄誉ある瞬間であった。

大変な状況にある現在の日本であるが、
陛下のお力により、必ずや復活することを願うばかりである。

 

 

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2012年11月 4日 (日)

ブログに書かれるコメント記事について

またまた、久々の記事投稿である。

 

改善を願って、主に政治的批判を中心に展開してきた
つもりであった当ブログに対し、
逆に批判(非難?)を浴びることがある。

独りよがりの記事を書いたり、
自分自身が間違った表現をしていてはならないと
コメントを受け付ける形にしている。

また、1つの批判記事を書くにも、あらゆる情報をかき集めてから
書き始めるようにしている。

昨今は、変化が激しいので記事をまとめようとしても
すぐに次の事象が起こるのでなかなかついていけない。

まさに時代が変わろうとしていると感じる。

したがって、当ブログも時代に合わせ、
政治的な批判も継続しつつ、新たな展開をしていこうと思う。

 

 

仕事上でのブログのことになるが、
先日、石原元都知事の辞任について
「ニュースを聞いた時におどろいたが何か考えがあってのことだろう。
 これ以上のことは個人のブログ記事で書くことにする。」
と締めくくる数行の記事を書いた。

それ以上のことは書いておらず、
それ以降は、本来の意図に沿った記事を書きつづったところ、
その記事にコメントがついた。

「何が考えだ!お前は馬鹿じゃねぇの?やつは税金を無駄に使った…云々」
などと怒りをむき出しにしたコメントだった。

マスコミに踊らされているうちの1人だと思うが
真実を見極められないことに哀れを感じる。

とは言っても、このような批判的なコメントを寄せる人間の
人を刺すようなエネルギーには、とても疲れさせられる。
受け流すにもその強さにそれなりのダメージが残る。

ブログつながりの方々の中にも同様に批判・非難的なコメントを
書かれることがあるかと思うがそのような場合、
どう受け止めていらっしゃるのだろう?
なかなか大変でさばくのも難しいものではないだろうか?と感じる。

さておき…
個人の考え・目的などで様々なブログが存在するが、
その存在だけでなく管理者すら否定するような
コメントには怒りが湧く。

ネット上で顔が見えないのをいいことに
感情に任せ、他人を責めている心無い人間がいることは
とても嘆かわしいことだ。

石原元知事が仰っていたように
「あまりにもセルフィッシュな日本人が増えた…。」
同感である。

 

 

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